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鶏鳴学園(けいめい学園)

〒113-0034
東京都文京区湯島1-3-6 Uビル7F
TEL:03-3818-7405
  (留守電対応の場合あり)
FAX:03-3818-7958

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「受験の国語力」とは読解力と表現力ですが、その中心は「論理的思考力」です。
「生きる力」とは問題意識テーマを持って生きていく能力です。
鶏鳴学園は、「受験の国語力」と「生きる力」の両者を相互に関係させて、大きく育てることを教育方針としています。

1.受験の国語力

受験の国語力とは何か

 受験に必要とされている国語力の中心は「論理的思考力」です。したがって、国語の勉強の中心は「論理トレーニング」でなければならないはずですが、世間の多くの国語の授業では「論理トレーニング」が行われていない、というのが現状ではないでしょうか。
それどころか、実際に世間でよく耳にするのは、「本をたくさん読めば、国語はできるようになる」という間違った考え方です。
何の方法もなくただ「たくさん読む」ことで国語ができるようになるわけがありません。
大抵の場合、好きな本を自己流の勝手な読み方で読んでいるだけです。本当は、正しい「読み方」を学び、それに必要な能力を身につけるためのトレーニングをつづけなければならないのです。

 鶏鳴学園の現代文(現国)の読解の中心となるのは、論理トレーニングの時間です。 テキストの難解な表現をより易しい表現に「言い換え」たり、テキストの複雑な構造をシンプルな「対」や「三角形」の図式の形でまとめ直したり、またそれらの図式のもつ新しい意味を考えたり、そういった作業を重ねることが、国語力を身につける唯一の方法です。 鶏鳴の論理トレーニングで基本となるのは、『対』『言い換え』『媒介』というたった三つのシンプルな「論理」ですが、シンプルだからこそ誰にでも繰り返し訓練することができ、鶏鳴に通ううちに、ふだんの生活の中でもそれを意識するようになります。 この3つのシンプルな「論理」の上に、テキスト全体の構成とテーマと結論の読解が可能になります。そして言うまでもありませんが、最終目標たる大学の入試問題も、基本的にこれらの理解によって解けるのです。

受験の古典

大学受験の古文・漢文に対して、世間には大いなる誤解が存在します。
「古典は暗記科目だ」という誤った認識です。
そんな「知識の暗記」だけの古典の勉強が楽しいはずもなく、また、そんなことをして一体何の役に立つのか、何の意味があるのかも分からず、非常に苦しい思いをしているというのが現実ではないでしょうか。

鶏鳴の古典は、三つの手順ですべての問題を解きます。
①「正確な直訳」から考える。
②「直前&直後」の文脈から考える。
③「主人公&テーマ」から考える。
このうち、②と③は、鶏鳴の現国で指導する「論理」的解法と全く同じものです。
鶏鳴学園の国語は、現国と古典が完全に同じ方法をとっているのです。

さて、残る①「正確な直訳」とは、古文の場合、「助詞&助動詞」に意識の中心をおいた読み方のことで、この方法は、講習の「基礎古文」の五日間で習得可能なものです。漢文についても、「SVO」というシンプルな基本構造(文法)をもとに読み解く方法を、講習の「基礎漢文」という五日間の講座で教えています。

鶏鳴で古典を学び、「古典は暗記科目ではない」ということを知るだけでもずいぶんと気持ちが楽になりますし、現国と同じ鶏鳴式のシンプルな論理的解法で入試問題も解けるようになります。

中学生の国語力

「国語」はどのように勉強すればよいのか、どうすれば読解や記述は得意になるのか、その具体的な目標や方法が、これほどわかりにくい教科は他にありません。

鶏鳴学園の国語は論理を身に付けるという明確な目標を持っています。
それをもとに、あらゆる文章を読み、自分の意見を書き、そして話せて、他人の話も聴けるような、そういう論理です。
論理的な思考力は、他の全ての教科を学ぶためにも欠かせない力です。
そして、将来の自分のテーマと、人生の中心となるものをつくっていく力までを視野に入れてこそ、確かな国語力と言えるでしょう。

また、鶏鳴学園は、論理を、『対』『言い換え』『媒介』という、たった三つで考えるという明快な方法を持っています。高校や大学受験レベルの難解な文章を読み解くには、ただ内容を追おうとするのではなく、これらの論理、つまり、形式をおさえることが欠かせません。
1クラス12名ほどのゼミ形式で、共に文章を読み、書き、そして、話し合い、基礎から練習していきます。

なお、高校受験の直接の指導は行っていません。それは、国語力の基盤づくりにじっくりと時間をかけたいからです。「基盤づくり」とは、上記の通り、読解力を養うだけではなく、生徒の毎日の生活や今後の人生を支えるような、論理的で真っ当な考え方を養うことです。
ただし、中学生クラスの指導目的や、その方法は、本質的には高校受験にも有効です。
入学試験が実施される中3の3学期は通塾せず、受験後に高1クラスに復帰することをお勧めしています。

2.生きる力としての国語力

生きる力としての国語力とは何か

鶏鳴学園の養成する国語力は、大学に合格できるレベルに止まりません。
大学入学後に、レポートやゼミや卒論でその威力が発揮されます。就職活動でも大いに役立ちます。
何よりも、社会に出てからの長い年月の仕事や生活一般でこそ、鶏鳴学園で学んだことが生きてきます。
会社で報告書を書く時、社内でプレゼンする時、顧客に「営業」する時、そこで発揮されるのは、その人の「国語力」でなくていったい何でしょうか。
鶏鳴学園の卒塾生の大学生や社会人の方々から、鶏鳴で培った国語力が役に立っているという、お手紙やメールをたくさんいただいています。
もともと、鶏鳴学園の授業形式が大学で行う少人数のゼミナール・演習方式であり、意見発表やディスカッションが中心だからです。
それは常に問題発見、問題解決が求められ続ける主体的なものであるからです。
従来の大学入試でも、こうした能力の一部を問うことは行われてきました。
しかし、現在進められようとしている新たな大学入試改革、小学校から大学までの新たな教育方法「アクティブ・ラーニング」(能動的学習)こそが、この「生きる力」を目的とするものなのです。

古典を学ぶ目的

我々が「古典(古文・漢文)」という科目を学ぶ目的とは、一体何でしょうか。 我々はふだん、日本語を使って、人と会話し、本を読み、メールを打ち、文章を書き、そして日本語という言語によってものを考えています。 しかしその際、「日本語とは何か」を意識することも反省することもありません。 なぜなら、我々にとっての「日本語」の基礎は、幼少期に無意識に習得されたものだからです。 日本語とは何かを考える上で、第一に重要なのは、「助詞・助動詞」です。 なぜなら、日本語という言語の特殊性が現れるのは「助詞・助動詞」であって、歴史上、最も変化し発展したのも、「助詞・助動詞」だからです。 日本人である我々が、日本語について、自覚的に、反省的に考えること、それが古典を学ぶ目的の一つです。

また、「古典」と呼ぶ以上、過去の文章であれば何でもいいというわけではなく、現代の日本の精神の基礎を作ったような、偉大な先人の文章でなければなりません。
偉大な先人の文章だからこそ、たとえそれが何千年前のものであろうと、現代の日本の問題を考えるカギとなり、現代を生きる我々に、生き方のヒントを与えてくれる宝物になり得ます。
しかしそれらはあくまで、先進文明の「模倣」であって、日本という国が「自立」できるか、という大きな問題を、今なお我々に残しているのです。
これら先人の精神を学び、そこから現代の我々自身の問題を考えること、それが古典を学ぶ第二の目的です。

中学生クラスの意味

思春期・反抗期に入った中学生は、「自立」という課題に直面しています。
思春期以前なら、特に自分の考えなど持っていなくても、周りの大人に従い、守ってもらうことが多かったのではないでしょうか。
ところが、今彼らは、日々周りとの人間関係に悩み、また、この先どんな道を歩むのか、何のために勉強するのかなど、様々な疑問にぶつかって戸惑っています。
かつてのように、ただ素直に親や教師に従うことはできず、だからと言って、まだ自分の考えの中心がしっかりしている訳ではありませんから、もやもやしたまま身動きが取れなくなることもあります。
また、親御さんとしても、子どもが何を考えているのかわからなくなり、また、どのように指導し、本人の意思はどう尊重すべきなのか、大変悩ましい時期です。

しかし、それは彼らが新たな成長段階に入った証であり、そこには「自立」への契機となる大きなエネルギーが秘められています。
そうした彼らに解決のための糸口を与えることができれば、彼らの「国語力」は飛躍的に伸びていくことでしょう。
ふだんは周りの人と率直に話し合えない状況にある彼らも、鶏鳴の授業の中では、スピーチや作文、テキストを媒介に、同じ悩みを抱える中学生どうしで遠慮なく意見交換します。
その中で、他者を知り、自分を知り、自分の悩みや問題を解決できるような思考力や言語能力を、少しずつ身に付けていきます。
言いたいことがきちんと言えて、書けて、他人の話が聞けて、他人の文章が読める。
そうして、自分の考えと責任で生きていける。
そういう能力や主体性を、彼ら自身が潜在的に強く求めていると感じています。