はじめての方はこちら

オンライン授業

オンライン授業

  • 社会人・大学生の学習会
  • 家庭論学習会
  • 論理トレーニング
  • 2020年度大学入試改革
  • 刊行物紹介

鶏鳴学園(けいめい学園)

〒113-0034
東京都文京区湯島1-3-6 Uビル7F
TEL:03-3818-7405
  (留守電対応の場合あり)
FAX:03-3818-7958

MAP

国語に関する質問集

Q&A

1学校のテストはまあまあですが、模試ではまったく点が取れません。
まず、学校の国語と、受験の国語の違いをお話ししましょう。
学校の国語の試験では、先生が授業中に言ったこと(黒板に書いたこと)を「覚えていれば」まあまあの点数がとれます。
だってそれは、「読んだことのある文章」ですから。
ところが模擬試験だと、「はじめてみる文章」を読まされて、しかもその文章にはいっぱい「傍線」がついていたり記号がついていたり、ときには「空欄」まであって、読みにくいことこの上なく、訳が分からないながらも「やっと読み終えた!」と思ったら、もうすでに問題を解く時間は「10分もない!」なんてことがよくあります。
多くの場合、みなさんが国語の教科書で習っているのは、その文章の「内容(著者が何を言っているか)」ですから、テストではそれを「覚えておけば」いいわけですが、模擬試験などではじめて見る文章の場合、その文章の「内容」が分からないと、「まったく点が取れない」ことになる、それって、「あたりまえ」のことじゃないですか?
問題は、みなさんが「文章の内容」ばかり習っていて、「文章の形式」というものを習っていないことにあります。
「内容」なら「覚えてしまえば」それでいいのですが、「形式」は覚えるものではないのです。
「文章の形式」というのは、実は「ものを考える形式」であり、難しくいえば「論理」のことです。
「論理」は、「頭の働かせ方」でもありますから、トレーニングしない限り、決して身に付きません。
これまでに「論理トレーニング」をやったことのないみなさんが、初見の難しい評論文をまったく読めないのは、あたりまえのことなのです。
ではどういう方法で「論理トレーニング」をするのか、については、(2)をお読みください。

「どうして今までだれも教えてくれなかったのか」。鶏鳴の現国の授業を初めて受けた日、家に帰るなり私は母に言った。
大人は「今の若者は文章が読めない、書けない」というが、誰も教えてくれないから読めるわけがなかった。
私は鶏鳴で初めて「国語」をならった。(2003年合格者の声)

2現国ができるようになるには、どうすればいいのですか?
(1)で、「現国は論理の科目だ」というお話をしましたが、それでは、どうすれば「論理」が身につくのでしょうか。
ここでは鶏鳴学園で指導している具体的な勉強方法の話をしましょう。
まず、鶏鳴の「論理」とは、以下の三つです。
 ①「対(つい)」(AとBとが反対)
 ②「言い換え」(AとA´とが同じ)
 ③「媒介」(AとBとをCがつないでいる)
文章の一部分の「論理」を読むだけなら、「直前&直後の文脈」の論理をおさえることで解決しますが、文章の全体の「論理」を読むためには、段落と段落の関係、鶏鳴用語では文章全体の「立体的構成」をおさえなければなりません。
そこから、文章全体の「テーマ」と「結論」も読み取ることができます。
この文章全体の「立体的構成」の読み方として、鶏鳴学園では、初めに「段落冒頭の一文」だけを読んでいく、パラグラフ・リーディングのやり方を指導しています。
初めに段落冒頭の一文だけを読むことで、文章全体の「立体的構成」を予測しつつ、そこから各段落の中身を読んでいくことで、常に全体を意識しつつ部分を読む、という読み方が意識されるようになります。
以上の論理トレーニングをするにあたっては、とても大事なことがあります。
それは、「復習」を重ねること、です。
「論理的思考」を身につけるには、次から次へと新しい問題を解く、というやり方では全くダメです。大事なのは、「量」ではなく、「質」なのです。
正しくは、同じテキストを、何度も繰り返して「復習」するべきです。鶏鳴でやったテキストを、自分の頭で何度も考え直すことによって、考えを深めてゆかなければなりません。
考えが深まってゆく、ということは、その人の「能力」が上がるということです。

私は元々他塾で国語を受けていましたが、なぜその答えになるのかが納得できたことはなく、高三から鶏鳴に入りました。鶏鳴の現国では、「対」、「言い換え」、「媒介」だけを使って論理的に説明され、自分のどこがいけなかったのかがよく分かりました。(2013合格者の声)

鶏鳴では、ずっと「復習を受験の直前まで継続すること」と言われていたが、本当にその通りだった。
体調が優れない日も、鶏鳴だけはやらなきゃと思ってやると、わたしは毎日鶏鳴の復習をしていたから大丈夫だ、と受験日に自分の自信になった。
現国はもともと特に苦手で、周りの友達がどんどん力がついていく中、自分だけできるようにならなくて不安な思いもたくさんあったが、自分にできることは鶏鳴のテキストの復習だけだと言い聞かせ、復習を最後までやり続けたことで、結果が出たので、鶏鳴のやり方は正しかったと思うことができた。(2014合格者の声)

3小説も「論理」で読めるのですか?
鶏鳴の「論理」は、評論文の読解や、小論文の読解だけに使うものではありません。
小説も、そして古典だって、現国と全く同じ「論理」でやるのが鶏鳴式です。
ここでは、小説についてお話ししましょう。
小説を読む際には、次の三点が重要です。
 ①登場人物の属性、関係をおさえる
 ②物語の展開をおさえる
 ③「山」を考える
まず①は、主人公、および、登場人物それぞれの「属性(ぞくせい)」(年齢、性別、家族関係、職業、性格、過去の経験…)と、人物どうしの「関係」をおさえることを意味しますが、ここで重要なことは、主人公の内面的な心の葛藤、矛盾を「対(つい)」の論理でおさえること、それと、登場人物どうしの人間関係を「対(つい)」の論理によっておさえることです。
なぜなら、小説・物語というものは、主人公の心の「葛藤、矛盾(内面的な分裂)」を中心として、人間どうしの「差異(違い)」や「対立」を描くものだからです。
人間の対立関係、身分の上下関係、キャラクターの違い、などのことです。場合によっては、「三角関係」という「媒介(ばいかい)」の論理もでてきます。
次に②は、物語として描かれている出来事の順番に、話の「展開」をおさえることですが、単なる「あらすじ」を読むのと異なり、大事なことは、「変化」をおさえることです。
そして実は、「変化」というものも、ある状態Aとある状態Bとの「対(つい)」の論理の一つなのです。
なぜなら、小説・物語というものは、出来事(事実)の変化と、それに応じた、人物の心理や考えの変化を描くものだからです。
登場人物が変化し、成長してゆくからこそ、小説や物語はおもしろいのです。
最後に、③こそが、小説・物語を読むことの核心です。
「山」とは、登場人物AとBとの「対立」が頂点にのぼりつめたところ、あるいは、人物Aや人物Bの心の中の「対立(=葛藤(かっとう)、矛盾)」が頂点にのぼりつめたところのことです。
小説・物語というものは、人間の「本質」を描くものです。
その人の「本質」が明らかになる場面を、「山」と呼びます。
「山」において、「対立」や「矛盾」がきわまるのですから、「山」において、小説・物語の「論理」が頂点に達するのです。
以上の「論理」が読めるようになれば、小説の点数が飛躍的に上がります。

鶏鳴に入るまで、現代文というものはどこが大事かなどは感覚的に何となくしか判断できないことだと思っていたけど、「対」と「言い換え」と「媒介」という論理を意識し、文章全体の「立体的構成」を考えていくと、筆者の主張がスムーズに分かるようになっていった。さらに論説文だけでなく、小説やエッセイまでも論理を重視して読むという鶏鳴式には初めは驚いたが、実際にそう読むと分かりやすくなった。(2012年合格者の声)

4共通テストの国語って?
「共通テスト(国語)は簡単だ」と世間では言われています。
私(講師松永)も高校生の時に、そんなこと(私の時代はセンター試験でしたが)を学校の先生から言われましたが、それはウソです。
何よりも、実際に自分で試してみれば分かりますが、「80分」という制限時間内に、「評論文」「小説」「古文」「漢文」の四題を、うまく時間配分しながら解く、というだけでも大変です。(学校の先生は、「答えを見る前に」自分自身で四題解いた経験があるのでしょうか?)
というのも、年によって、小説が難解だったり、古文が難解だったり、ばらばらだからで、一般に「漢文は易しい」と言われてきたのに、時にかなり難解なものが出たりします。
すると、受験生としては、簡単にできると思って初めに取り組んだ漢文で25分も時間を使ってしまったり、そのショックが普段は読めるはずの易しい評論文でも尾をひき、あげくの果てには小説が難しくてまた焦り、最後の古文をやるときにはもう時間が5分しかない!なんてことがしょっちゅう起こります。
一般に、私大の二次試験の国語の方がゆったりと時間がとってありますし、東大の二次試験に至っては、さらにゆとりある時間がありますからゆっくりと考え、実力そのままが出やすい出題になっています。
もう一つ、共通テストの国語が難しいのは、テキスト本文があれだけ長いにも関わらず、設問の選択肢自体が、これまた長くて、ほとんど「文章」と言っていいくらいの長さです。
この膨大な量の文章を、「短い時間で単純に処理し、ミスをできるだけしない」というような、「事務処理能力」にも似た能力がないと、共通テストの国語で高得点を取るのは本当に大変です。
(17)も合わせてお読み下さい。
5古文の知識0ですが…
古文の「知識」だけの話でしたら、一年どころか三ヶ月でも間に合います。
鶏鳴では、「知識」=「覚えなければいけないこと」はすべて、三種のオリジナル参考書にまとまっています。
 「ノリナガの古文」(古典文法)
 「シキブの古典単語」(古典単語)
 「ホクトの漢文」(漢文法、漢文単語)
鶏鳴で必須とする古典文法の知識は、「ノリナガの古文」の100、古典単語の数は、「シキブの古典単語」の230、「超重要」なものだけに絞ればなんと100、漢文の文法+単語は100程度、です。
英単語を5000も覚えなければならないことを思えば、どうってことはありません。
多くの市販の参考書などは「古文の基礎」とか「漢文の基礎」とか言う割に、覚えなきゃいけないことが多すぎて、たいていの人が挫折します。
かつまた、「覚えろ!」と書いてあるだけで、なぜそうなるのかという説明がイマイチだったりします。
たとえば、鶏鳴の古文は、厳密で必要十分な量の古典文法の知識が、「ノリナガの古文」のたった7ページ、にすべて書いてあります。

古典はそもそも暗記だと思っていた私にとって、鶏鳴では、現国と同じやり方で大半の問題が解けてしまうことが本当に驚きでした。
知識は最低限しか覚えなくて済んだので、古典に時間をかけなかった分、他の教科に時間を回せて、他の受験生と大きく差をつけられたと思っています。(2013年合格者の声)

6古典が死ぬほどきらいなのですが…
実は、私(講師松永)も、昔はそうでした。
ま、「死ぬほど」じゃなかったですけど、「赤点取るほど」いや「高校で赤点三回取ったほど」きらいでした。
そのときのことを思い出して言いますと、「ただの丸暗記科目じゃないか!」というのがキライな理由でした。
「助動詞の活用表」を「れ、れ、る、るる…」なんて唱えたって、そんなこと、人生にとって何の意味があるんだ?と反発していました。
が、実は「古典は暗記科目じゃない!」ということが、今、私がみなさんにぜひ教えたいことになっています。
助動詞だって、重要単語だって、もちろんパーフェクトに教えますけど、それを「暗記」させることはほとんどしません。
また逆に、「これだけは暗記!」という事項は、鶏鳴では最初からすべて示します。
後から次々と「これも覚えておけ!」式のいい加減なことはやりません。
また、学校の古文の授業などで、ただ教師が「訳」を口で言って、生徒がそれをノートに写す、というどうしようもない授業があると思いますが、そういう授業しか受けたことがないのでは、「死ぬほどキライ」なのは当たり前ですね。
肝心なのは、古文も漢文も基本的に「語学」であるから、英語と同じように「自力で」訳せるようにならなければ、「初見の文章」はまったく読めないということです。
ただし、全文を「全訳」するなどということは無意味です。
詳しくは、「鶏鳴学園の古典教育 」をお読み下さい。

鶏鳴では、「古典は暗記ではない」ことを、とても納得する理由付きで説明してもらい、鶏鳴で頑張ろうと思いました。
とくに漢文は英語ととても似ていて、SVO方式を習った時は私の国語人生の中で一番感動しました。
古文・漢文が本当に暗記なしでパズルのように解けるようになるのは鶏鳴以外ではあり得なかったです。
(2015年合格者の声)

古典の松永さんの解法ほど単純明快なものはないと思います。
答えが「直訳・直前直後・テーマ」で出るのに、なぜよそでは教えないのだろうと不思議に思うくらいでした。
しかもこんなに役に立つのに、自分ですることといえば「本文を音読してレジュメを読む」だけなので、他の教科に時間をあてることができ、とても助かりました。
しかも、鶏鳴式は、あらゆる面で英語に応用ができました。単語を覚えるにしても無闇にたくさん覚える必要はなく、結構「直・直・テーマ」で意味が分かったりするのも驚きでした。
加えて、文学史に関して先生が教えてくれたことが本当にバンバン出るので、「本当にこの人は神がかっている!」と思いました。(2012合格者の声)

7作文大嫌い!

「作文」と聞いて、みなさんが思い浮かべるのは、きっと、学校の夏休みの宿題などで出される「読書感想文」のことでしょう。
普段本を読まないのに、がんばって何とか読み終えたら、「感想」を書かなきゃならない。
「感想」って言ったって、「おもしろかった。」としか言いようがないですよね。
それで仕方なく、ムリして、「なぜおもしろかったのか」を書いて原稿用紙を埋める…。
おまけに提出しても、それがちゃんと「添削」されて返ってくるわけでもなく、たまに返ってきたらきたで、AとかBとか「評価」だけがついてくる…。
問題は、「作文は、何のために、何を、どのように、書くものなのか」という、「方法」を教えてもらっていないので、「練習」しようがないことにあります。
やる気があっても「どうやっていいか分からない」ということほど、悲しいことはありません。
鶏鳴の作文では、まずはじめに、何よりも大事なこととして、「自分の問題意識を作るために、大事な経験(事実)を、具体的に書く」ことを指導します。これを「経験文」と言います。
「自分の大事な経験」といっても、自分にとって何が「大事な経験(事実)」なのかを、ふつう本人はよく分かっていないので、それを導き出すことが教師の役目です。
「大事な経験(事実)」とは、その人の「問題意識」に大きく育つような経験のことなのです。
また「具体的に書く」というのは、他人が読んだ時に、そのできごとの情景が「目で見るように」描くということです。
そうであって初めて、他人の目で、その経験を見つめ直せるからです。この過程も教師が丁寧に指導しなければ、みなさん自身が直していくことは不可能です。
ここまでが「経験文」の話です。
次に取り組むのが、「調べ作文」です。これは自分の興味関心のある対象について、調べたことをまとめる文章です。「経験文」が自分自身について書くことであるのに対して、「調べ作文」では、外の社会、外の世界の対象、つまりは自分にとっての「他者」について書くことになります。
はじめは、図書館の「レファレンスサービス」などを利用しながら、本、文献、ネット記事を読み、その内容をまとめるところからです。はじめは「なんとなく××に興味がある」というくらいかもしれませんが、本などを読みながら、そこに「自分の問い」が出てくるかどうかが大事です。冒頭にのべた「読書感想文」にしても、本の著者の言っていることをまとめたあとに、それに対する自分自身の「問い」や「疑問」、場合によっては「批判」をことばにすることが最も大事なことだと思います。
反対に、もしも何の問いも出てこないようなら、「私は××に関心があると思ってたけど、ほんとはたいして関心がなかったんだ!」ということが分かります。これだけでも一歩前進です。
さて、もしも「問い」がどんどん出てくるようなら、その「問い」の答えを出すために、次の行動が待っています。こんどは、現場関係者、専門家に会って、その問いの答えを探る「取材」、「現地調査」という段階に進みます。
こうして自分の「問題意識」が具体化されていくのです。
そして最終段階として、「経験文」と「調べ作文」が総合される段階があります。「自分」と「対象(他者)」をつなげること、「調べ作文」で調べた対象が、自分の経験とどうつながるのかを反省する段階です。
「なぜ私は××に関心があるのか」。その答えを考え、ことばにすることによって、それがそのまま「大学へ行くこと」の理由になります。
大学入試で「小論文」やAO入試(総合型選抜入試)の「志望理由書」が課されるのは、「大学で何のために、何を、どのように学びたいか」を大学の先生が知りたいからで、そのためにも、「自分の問題意識」を自覚し、大きく育てていくことが重要なのです。
詳しいことは、塾長の中井浩一の著書
『脱マニュアル小論文――作文と論文をつなぐ指導法』(大修館書店)、
『「聞き書き」の力──表現指導の理論と実践』(大修館書店)をお読み下さい。

8小論文を書くためにするべきことは何ですか?

みなさんは「小論文」というものに対してどういうイメージを持っているでしょうか?
まず、大学入試の小論文の典型的な出題では、第一問に「課題文を要約せよ」という設問があり、第二問に「課題文に対するあなたの意見を述べよ」という設問があります。
まず、だれかの意見に自分の意見を対置する場合、そもそも相手の言っていることを正確に理解していなければなりませんから、「課題文を要約せよ」という問題がはじめにくるのは当然のことです。
この「要約」では、テキスト「全体」の論理をおさえる高度な読解力が必要になります。(鶏鳴学園では現国の授業の中で、テキスト全体の「立体的構成」をおさえるトレーニングをしています。)
テキストの著者の意見を正確に理解した上で、次にはそれに対する「自分の意見」を書くことになりますが、その際、みなさんの意見の「根拠」となるものにおよそ2種類のものがあります。
第一に、みなさんの意見の最大の「根拠」とするべきものは、みなさん自身の「経験」です。
ゆえに、「自分の経験を振り返り、それを客観的な文章にまとめる訓練をする」ということが必要となります。
この「自分の経験」というものは、どんな種類の経験であっても構わないのですが、「自分にとって切実な経験」でなければなりません。
どうでしょうか? みなさんにはそれがありますか? あれば良いのですが、「自分には人に語れるほどの大した経験はない」という場合にはどうすれば良いでしょう? 答えは簡単です。
経験を「作る」のです。たとえば、自分の関心のある事柄について、できるだけ現場に行って調査し、専門家に会って話を聞き、それに関連する本などを読み……といった行動をすることによって、はじめて「問題意識」、言い換えると「書くべきナカミ」が生まれます。
何もしないで良い文章が書けるわけがありません。
ここまでに述べたような、自分の「経験」を根拠に意見を書くタイプの小論文は、たとえば、慶応大学の文学部、法学部などで出題されています。
そして、自分の意見の第二の「根拠」となるものは、本、文献、ニュース、統計資料などから得られる客観的事実、データです。
自分の受けたい学部の学問と関係する社会問題、理系なら自然科学の問題について、ふだんから、事実を調査してまとめておくことが必要になります。
ここで、調査や読書がめんどうだと思うなら、それは「学部」の選び方に問題があるのかもしれません。本来は、「強い興味関心」があるからこそ調べるし、本も読むのです。
ここまでに述べたような、調査した事実を根拠に意見を書くタイプの小論文は、たとえば、慶応大学の経済学部、SFCなどで出題されています。

こうして見てくると、みなさんの「小論文」に対するイメージがずいぶんと変わったのではないでしょうか。
小論文というのは、難しい言葉を使って、ふだん考えたこともないテーマについて、うんうんうなって何かを書く、というものではありませんし、原稿用紙の使い方はどうのこうの、というような小手先のものでもないのです。
鶏鳴の平常授業や講習の「作文」「小論文」の授業では、以上のことを指導しています。
詳しいことは、塾長の中井浩一の著書
『脱マニュアル小論文――作文と論文をつなぐ指導法』(大修館書店)、
『「聞き書き」の力──表現指導の理論と実践』(大修館書店)をお読み下さい。

鶏鳴の小論の授業のおかげで、調べてきたことを繰り返し文章化し、先生に批判してもらうプロセスを経て、私は自分の「問題意識」を作ることができた。
これで大学四年間を無駄にせず過ごすことができると思う。(2015合格者の声)

鶏鳴の小論は、「自分とは何か」について考える良い機会でした。私がちょっと気取った一般論を書くと、「良い子ちゃん作文を書くな!」と叱られ、じゃあ自分の書ける文章って何だろうとすごく悩みました。
ある時、中井先生が「君は部活のことで全部書けるんじゃないか」と言って下さった時、今までの部活人生がありありと浮かんできて、自分が人に胸をはって書けるのはこれしかない、と思い、それを真剣に書いたらOKをもらいました。
鶏鳴に入って本当に良かったと思える瞬間でした。(2014合格者の声)

9AO入試(総合型選抜入試)を受けたい。
AO入試が始まったのは、1990年代のことです。
慶應の湘南藤沢キャンパス(SFC)の総合政策学部、環境情報学部で始まりました。
それが90年代後半から急速に全国に広がりました。
国立大学でも旧帝大を含む主要大学にまでAO入試が広がっています。
ただし、現在行われているAO入試は、大きく言って2種類の対極的なものにわけられます。これに注意して下さい。
一つは、「良い学生」を選抜するためのもので、偏差値の高い大学で行っています。
もう一つは、事実上の「無試験入試」として行われているもので、これは学生の確保が難しい大学が、何とか学生を集めるために行っています。
この二つをはっきりと区別しなければなりません。
さてここでは、第1の「良い学生」を選抜するためのAO入試に限定してお話しします。
そこで求められるのは、第1に高校生の問題意識(テーマ)の強さ・深さ・広さであり、第2に大学で学ぶ目的や将来像が明確であることです。
これらが弱くては、大学で学習や研究に活躍することはできないし、他の学生の模範になったり、リーダー的な役割は果たせないでしょう。
そして、そうした学生を選抜するのが、AO入試の目的なのです。
ですから、志望理由書、面接では、この2点が問われます。
その対策としては、この2点を確かなものにしておけば良いわけです。
そのためには、自分自身に対する深い理解と、社会や職業や大学に対する理解が必要になります。
つまり、「自己理解」と「対象理解」です。
仮に、あなたが、この「自己理解」(自分はどういう人間か?)が既にできているというのであれば、話は簡単です。
それは、あなたが、自分の人生経験の中で、自分の「関心のあること=人生のテーマ=問題意識」を明確に持っている、ということを意味するからです。
しかし、そんな高校生はめったにいません。
ですから、一度、これまでの自分の生きてきた人生を振り返って見るのです。
そこでどんなことを経験し、その中で、どんなことに疑問を持ち、悩み、戦い、どのように解決し、成長してきたのか。
それを丁寧に振り返れば、その中から自分のテーマ=問題意識が浮かび上がってきます。
後は、それを育てていくことです。
これが、世間で言うところの「自分探し」ですが、より正確にいえば、「自分づくり」です。
しかし、こうしたやり方だけでは、なかなか自分のテーマ、問題意識を明確にはできないのが普通です。
そこで、一旦は「自分探し」から離れて、「対象理解」を行うのです。
「対象理解」のためには、たとえば、毎日の日本社会や世界のニュースに気をつけたり、本やインターネットで調査したり、職業や大学について調査してみることです。
それは、自分の外側の世界(対象)を理解することを通して、自分が何に関心を持てるのかを調査しているのです。
つまり、対象理解(世界・社会の理解)を媒介にして、自己理解(自分自身の理解)をしていくわけです。
ここで、「進路・進学のための調査」方法については、HPの「進路・進学の考え方」に詳しく述べました。
以下は、「進路・進学の考え方」をお読みいただいた上で、ご覧下さい。
そこにも書きましたが、「対象理解」のためには、現実(=他者)に深く働きかけ、その奥にある事柄をつかみ取るような経験をする必要があります。そのためには必ず、現地・現場に行き、そこで働いている人に直接取材しなければなりません。
「その仕事、職場、大学にはどんな課題、問題があるのか?」「そこには、日本社会のどのような問題が現れているのか?」、そういう「問題」をしっかり考えてみることが、自分のテーマ、問題意識を深め、広げてくれ、自己理解が進むのです。
文献や本を読むのはそのためです。
以上のことをしっかりとやっておけば、AO入試の対策としてはすでに万全です。
第1に自分の問題意識(テーマ)は明確で、大学で研究したいことがはっきりとしています。
その事柄についての調査もすでに始めています。
第2に大学で学ぶ目的や将来像が明確になっています。
これらを志望理由書にしっかりと書き、面接では自分の人生と、調査してきた経験を踏まえて、堂々と自分の考えを述べることができるでしょう。
以上のことについて、詳しくは中井著『大学入試の戦後史』(中公新書ラクレ)、『脱マニュアル小論文』を参照して下さい。

高3の時、私は指定公推薦の指導を中井先生にお願いしたのですが、時間のない状況下、先生から「現場」に行って取材することを勧められ、5人もの人にインタビューをしてレポートを仕上げました。
知らない人や団体に自分で連絡を取り、取材に行くなどということは初めは不安で緊張しましたが、自分が真剣になれば相手もそれに応えてくれるのだと分かり、良い経験になっただけでなく、今の自分の「自信」につながっています。(2014合格者の声)

10帰国子女で国語がとくに苦手です。
「帰国子女で国語がとくに苦手」という方からの問い合わせをよく受けます。
そこでいつもお答えしているのですが、「帰国子女だから、国語を何とかしなければ!」という強い自覚があるからこそ、国語は伸びるのであって、日本でずっと暮らしてきた普通の高校生が「まあ、国語もやらなきゃな…」というのよりずっと「国語に対する意識」が高いのです。
国語という科目は、決して「知識の科目」ではありませんから、正しい方法でトレーニングすれば、必ず誰でも伸びます。
ただし、その時にいちばん肝心なのは、「本人のやる気」なのです。
また、これは帰国子女の方にかぎりませんが、「国語が苦手」というときの「国語」が何を指すのかが、ほんとうは問題だと思います。
長い海外生活をして帰国した生徒の悩みとしてよく聞くのは、「学校で日本語がおかしいと言われる」という話です。
まわりの生徒と比べて、「漢字」が読めない、日本語特有の「言い回し」を知らない、とか。
その生徒は、学校でからかわれたり、教師に笑われたりすることで、まったく自信をなくしてしまい、「日本語コンプレックス」のような状態で鶏鳴にやってきます。
たしかに、「漢字」がある程度よめなければ文章はよめませんが、それは大した問題ではありません。
市販の漢字練習帳のような本を一冊、短期間で仕上げてしまえばいいのですから。
そんなことより、ほんとうの「国語力」というものは、「思考力」そのもののことであって、それは、日本語のボキャブラリーが少ないとかいった「知識」の問題ではありません。
また、「国語力」の根幹にあるべきものは、その人の「経験」であり、「問題意識」ですから、海外であっても何かひとつのことに努力した「経験」があるならば、その人には「問題意識」の芽はあるはずですし、「自分の意見」をもっている場合だってあるのです。
経験と問題意識があるならば、あとは論理的思考力(国語力)を鍛えるだけであって、それは他の日本でずっと暮らしてきた生徒となんら変わりはありません。
そうは言っても、帰国子女の方のもっている「日本語コンプレックス」は根強いものでもありますから、「漢字」から逃げてはなりませんし、日本語を身体で意識するためには「音読」も大事です。
「日本語と向き合いなさい」という指導を鶏鳴では行っています。

鶏鳴に通う前の僕の国語力は留学帰りだったこともあり、まさにボロボロで、自分で試行錯誤しても行き詰まりを感じていたが、ケイメイに通いはじめてから、国語の学習スタイルが自然に身に付き、安定感が生まれた。ケイメイを信じて復習を続けていたところ、入試直前にして突然視野が広くなった感覚があり、どんな文章もほとんど理解できるようになり、問題を解くのが気持ちよくさえなった。
ケイメイは今まで国語に対してもっていたモヤモヤを吹き飛ばしてくれました!(2009合格者の声)

11コミュニケーション力がぜんぜんないのですが…
鶏鳴の授業では、テキストについての「意見」や「感想」を求められたり、自分や他人の発表や作文を「批評」したり、ことあるごとに発言する機会が設けられます。
これは、鶏鳴では人前で自分の意見を話すことも国語力の一部と考えるためです。
それに、考えてもみてください。これから大学へ行ったり、会社に入ったり、社会に出て行くにあたって、「自分の意見を話す」ことができないで、どうやって生きていくのでしょうか。
とまあ、そうは言っても、みなさんはそのための「練習」をしたことがないのですから、初めは、緊張もしますし、まったく喋れないということもあるでしょう。
しかし、鶏鳴で数ヶ月「練習」するうちに、誰もが楽しく参加できるようになりますから、心配することはありません。
12ボキャブラリーがあまりにも少なすぎて…
「ボキャブラリーが少ないから国語ができないのだ」という考えは、ごくごく一般的なものですが、鶏鳴では、その考え方に真っ向から反対意見をもっています。
たとえば、講習の「基礎現国」では、「聞いたことも見たこともない難しい用語」の意味を、「対」と「言い換え」の論理で読む方法を具体的に教えています。
また、古典の授業でも、「単語」の知識量などは重視していません。
あらゆる入試問題の中で、現国と同じ論理を使い、文脈から意味を考える方法を具体的に教えています。
ただし、論理的に重要な語句、というものはあります。
「主観と客観」とか、「普遍と特殊と個別」といった本質語のことです。
また、古典でも、日本語の本質からいって大事な語句、というものもあります。
「古今異義語」のことです。さらに、小論文で、「グローバル化」など、経済や政治に関するある程度の前提知識は必要です。
もちろん、これらの語句については必要十分な知識を、鶏鳴でも教えています。
しかし、国語力とは、思考力、論理的思考力のことであって、知識の量などではありません。
「ボキャブラリーが少ないから…」と思っている人は、「論理」というものを習ったことがないだけだと思います。
13子どもが本を読みません。
「最近の子どもは本を読まない」という話は、あちこちで耳にする話ですが、そう言う当人(親)は本を読んでいるのでしょうか?
もしも親が自宅で本を読み、自宅に本がたくさん置いてあり、ときにその本の内容を子どもに話して聞かせるというような環境があるならば、たいていの子どもは本を読むようになります。
そうでない場合、ただ強制的に「これを読め」と言ったところで説得力はないし、子どもは本を読みません。
まず、「読書の心構え」をお話ししましょう。
「本を読む」という習慣を身につけるためには、まずは「本を買う」ことから始めると良いでしょう。
本を買うためには「本屋に行く」ことが必要ですが、本屋で一時間くらいかけてあれこれの本の背表紙を眺め、少しでもピンときたものをどんどん買って家に帰る、そういうことを月に一回くらい続けていくと、本棚に本がたまっていきます。
これが第一歩です。
そして時々それを手にとって、数ページ読んでみる、数ぺージ読んでおもしろくなければ「読むのをやめる」のです。
これも意外と大事なことで、「本は最後まで読み通さなければならない」などと緊張していると、読書が苦痛以外の何ものでもないものになってしまいます。
考えてみて下さい。
本というものは誰かが書いたものであり、読書とはその「誰か」との出会いなのです。
自分の出会うべき「誰か」にそう易々と出会えるわけがないでしょう。
つまらないと思ったらただちに読むのをやめ、どんどん次へ移れば良いのです。
そうしていくうちに、だんだんと「本を見極める目」が出来てきます。だんだんと読む量が増えてゆきます。
読書の習慣がついてきたら、「自分の関心を探す」ための読書という段階に移ります。
これは、大学で何を学ぶか、ということとも直結するので、高校生にとっては非常に大事なことです。
手始めに、朝日新聞社から出ている、AERAMOOKというシリーズをお勧めします。
これは、『××学が分かる』というタイトルで、100種類以上のジャンルにわたり、大学の先生などの専門家・研究者たちが自分の研究テーマについて語り、高校生向けの本を紹介しています。
これも一冊ではなく、数冊買うべきです。
最後に、「自分の信頼する人」の勧める本を読んでみましょう。
誰でもいいというわけではありません。
あなたの信頼する人、というのが基準です。
世間には「ベストセラー」というものがありますが、あれは「多くの人が勧める本」であるかも知れませんが、だからと言って、良い本であるということではありませんし、ほとんどの場合、お勧めできないものばかりです。
14学校の国語のテスト対策はどうすればいいの?
(1)でお話ししたように、大学受験の国語と、学校の国語は、およそ別物です。
しかしそうは言っても、とくに高1・高2生にとっては学校の定期テストがいつも「悩みの種」でもあるでしょうから、ごく簡単にそのコツをお話ししましょう。
現代文のみです。
古文については、講習の「基礎古文」の中で、学校の古文の勉強法にも触れています。
①教科書の文章で、「重要な漢字」「重要な語句」とされている言葉を収集するための「言葉ノート」を一冊用意し、学校で習ったものをそれにすべて収集していく。
漢字、熟語、ことわざ、カタカナ語、などすべての語句を、意味とともにメモしておく。
ただし、教科書や学校の先生の説明でもなお「意味のよく分からない言葉」については、「?」をつけておき、誰かに質問するか、自分で調べる。 →試験の前に、該当する範囲を覚える。
②教科書の文章で、「評論文」なら、その文章の「著者の主張(結論)」を、「物語文(小説)」なら、その文章の「登場人物の心理(心理の変化)」を、まとめる。
(※実は、学校の授業でも、これらのことを黒板に書いたりするので、それをそのまま写しておけばよい。それすらやっていないようなヒドイ授業なら、そもそも何もしようがない。)
特に、評論文では、文章の各段落ごとに、「小見出し(タイトル)」をつけ、段落ごとに著者の主張をまとめていくと、全体の著者の主張の流れが分かりやすくなります。
15国語がまったくダメですが、鶏鳴の授業についていけるでしょうか?
その心配はまずありません。
なぜかといえば、鶏鳴の授業は、「大量の問題を解きまくる」とか、「大量の宿題を出す」とか、「すごいスピードで授業がどんどん進む」とかいうものではないからです。
国語の力というものは、そういう勉強によって身につくようなものではなくて、良質のテキストを使い、シンプルな方法で、繰り返し繰り返し、ゆっくりと「自分の頭で考える」ことによって、はじめて少しずつ伸びていくようなものなのです。
また、そもそも「他人についていく」ことが大事なのではありません。
みなさんそれぞれの能力に差があるのはあたりまえであって、みなさんは「自分の国語力を伸ばす」ことだけを目的として強くもっていればよいと思います。
それから、「人前で話すのが苦手」という人もいるでしょう。
鶏鳴の授業では、テキストについての「意見」や「感想」を求められたり、自分や他人の発表や作文を「批評」したり、ことあるごとに発言する機会が設けられます。
これは、鶏鳴では人前で自分の意見を話すことこそ、国語力の基礎と考えるためです。
それが苦手な人は、「人前で話せるようになること」を、鶏鳴で学ぶ「目的」の一つとしてはっきり意識することが大事だと思います。
最後に、「鶏鳴学園の理念」を読んだ方は、鶏鳴の授業は「きびしそうだ」という感想をお持ちになったかも知れません。
たしかに、鶏鳴が単なる受験塾ではなく、「生きる力」を伸ばすことを目的としている以上、「きびしい」という側面はあります。
ですから、鶏鳴では、生徒ひとりひとりの「問題点」をはっきりと指摘し、生徒が自分の「課題」に向き合っていないと見られる場合には、「批判」もします。
おそらく、そんな塾は他にないでしょう。
学校でも、先生に「怒られる」ことはあっても、「批判される」という経験はおそらくないのではないでしょうか。
「批判する」とは、相手を成長させる、ということです。
自分の間違いを誰からも指摘されないでいて、いったいどうやって本人が成長できるのでしょうか?
鶏鳴の指導は何よりも、生徒の「自立」を助け、生徒が「前に進む」ために行われているということをご理解ください。
また、そうした指導の一方で、鶏鳴では、生徒の「相談」に対して、とことん応じてもいます。
受験勉強の相談のほか、「進路・進学」の悩み、学校生活での悩み、家庭での悩み、などなど。
時には、保護者の方の「相談」にも、個別の面談に応じています。
その結果は、以下のような生徒自身の声をお聞きください。

鶏鳴の現国は、特に担当の回など、緊張し辛かったが、今思えば、あの場で、あの雰囲気で、自分の意見を述べる、相手の意見に突っ込み、反論する、というのは鶏鳴でしかできないことであり、とても有意義な時間だった。
テキストの内容も深いものばかりで、「三大媒介」など、今後もずっとと必要な考え方だと思います。(2013合格者の声)

自分がレジュメ担当の時は、皆に発表しなくてはならず、さらに中井先生の厳しいツッコミもあったため、私は何よりも緊張し、一週間前から憂鬱でした。(国語が大の苦手だったこともある)。
ですが、レジュメ担当を重ねるにつれて自身の能力が上がってきているのを実感し、秋の時点では自信を持てるようになりました。
この凄まじい緊張感が、本番の入試でも活かされたのか、試験中は平常心で望むことが出来ました。(笑)(2015合格者の声)

鶏鳴の授業はシビアだったので行く前に緊張することはあったが、それと矛盾して、毎週行くのが楽しみというか、他の塾とは違い、わくわくして通うということがあった。
もともと自分は将来のんびりと暮して平凡な人生を送れればと思っていたのだが、鶏鳴に入ったおかげで、自分の本当に興味の持てる分野を見つけ、そこで挑戦して生きるのも悪くない、というか、むしろそっちの方がいい、と思うようにすらなった。(2012合格者の声)

16高3の4月から始めても間に合いますか?
現国(現代国語)という科目は、要するに、「論理的思考能力」を鍛えるものです。
「論理的思考」なんて言うと、ひじょうに難しく聞こえますが、鶏鳴で教える「方法」は、「対」と「言い換え」と「媒介」の三つが基本です。
使う道具(方法)は実にシンプルなものですが、みなさん自身が自分の力でこれらの道具を使いこなせるようになるためには、期間としては、最低でも3ヶ月~半年の練習期間が必要です。
しかし逆に言えば、半年もあれば十分です。
古典(古文・漢文)という科目でほんとうに必要な「知識」は、案外、少ないものです。
鶏鳴では「ノリナガの古文」と「シキブの古典単語」、「ホクトの漢文」以外のものを一切使用しません。
かつ、これらに収載されている知識の数は、古典文法が100ほど、古典単語が200ほど(本当に必須なものに限れば100ほど)、漢文法・漢文単語が100ほど、しかありませんから、やる気があれば一か月でも習得可能です。
ただし、古典といえども、ほんとうは「論理」を問われている問題の方が多いので、現国と同じく、「論理」の習得には、最低でも3ヶ月~半年の練習期間が必要です。
なお、鶏鳴の「受験クラス」には、高卒生もいます。
高卒生は4月から入塾するのですから、それでも間に合うことは確かです。
ただし、高卒生には、一度失敗したという意味で、自分のやり方に対する反省があり、それを乗り越えようとする強い主体性、積極性があります。
何事もそうですが、強い主体性、積極性さえあれば、時間的な問題はたいしたことではないと思います。
要は「やる気こそすべて」、です。

自分は国語が本当に出来ませんでした。
ですが、高3で鶏鳴に入って国語が好きになり、徐々に本当に出来るようになりました。
学校で先生はいつも「論理的に解け」と言うのですが、その「論理」を教えてはくれませんでした。
教えてくれたのは鶏鳴であり、それはとても分かりやすくシンプルなものでした。「対・言い換え・媒介」と、「直前・直後」だけでほとんどの問題が解けるということを意識すると、鶏鳴でも最下位だった自分の点数がどんどん上がりました。
こんなにシンプルに問題が解ける、というのは自分にとっては世界が変わったような感じであり、また、中井先生の話は毎回おもしろく、考えさせられました。
それが古文漢文でも同様で、本文の内容を読まずとも論理的に考えるだけで答えが出るというのはすごかったです。
実際、勉強に必要な量も非常に少なくて、量ではなく質だということを強く教わりました。(2014合格者の声)

私は浪人時の一年間ケイメイにお世話になりました。
現役時はほぼ我流で国語を解いていたので、文章を「対・言い換え・媒介」で読み解く形式的かつシンプルなケイメイ式は私にとって画期的でした。
正直はじめは半信半疑でしたが、模試の成績が現役のときより安定するようになり、一年通して成績を落とさずキープして受験をのりきることができました。(2010年合格者の声)

古典も松永先生が毎回仰っていた様に、実は覚える事は限られていて、結局「国語力=論理」を問うている問題の方が多く、「直・直・テーマ」でシンプルに考えていくことで点を取ることが出来るようになりました。(2015合格者の声)

17理系で国語は共通テストにしか使いません。
自分は理系だから共通テストでしか国語は使わない、という人から、「共通テストレベルの国語だけだったらどのくらい国語をやるべきか?」という質問をよく受けます。
しかし、「共通テストレベル」というのが何を意味するのかが問題です。
そこには、「共通テストの国語は簡単だ」という前提があるのではないでしょうか。
ところが、現実はまったくそうではありません。
よく聞く話ですが、理系の医学部志望の人が、共通テストの国語で高得点(八割~九割)を取れずに、それが原因で浪人します。
そういう人が、大手予備校の「共通テスト国語の対策これだけ」みたいな講習だけではムリだと分かって、鶏鳴に入塾してきます。
鶏鳴の受験クラスでは、4月からの学期で「評論」をやり、9月の学期から「小説」をやります。(古典でも同様で、共通テストの問題を集中的に扱うのは、9月以後です。)
なぜなら、「小説」といっても、基本的には「評論」と同様、「論理」で読むものですから、「論理」の基礎トレーニングが先に必要です。
たしかに、「小説」には小説特有の技法の学習などがありますが、それはあくまで、評論でやった「論理」の上に学ぶべきものなのです。
その平常授業をふまえて、冬期講習で共通テスト対策を完成させます。
「小説も論理で読めるのですか?」もお読み下さい。